東海道五十五宿
第五十番目・土山宿
土山宿・本陣跡
本陣脇にある漢詩碑

鈴鹿山の西に、古よりの駅亭あり。
秋風の一夜、 鳳輿停る。
維新の正に是、 天長節なり。
恩賜の酒肴を今賀に当てる。

この本陣に明治天皇が明治元年九月二十二日の夜に
一泊され、その日が偶然にも天皇即位最初の誕生日に当たり
次の日にこの本陣で祝賀式が挙行され、祝いとして土山の
住民全戸へ酒・肴を御下賜あった史実に基づき仏教哲学者の
井上博士が詠まれた。
土山宿
土山宿本陣跡
土山宿は、東海道の起点である江戸日本橋より、百六里三十二町、終点京都三条大橋まで
十五里十七町の位置にある。
土山宿本陣は、1634年三代将軍徳川家光が上洛の際設けられた。
土山氏文書の「本陣職之事」によってわかるように、甲賀武士土山鹿之助の末裔
土山喜左衛門を初代として之を勤めた。本陣は当時の大名、旗本、公家、勅使等が
宿泊したもので、屋内には現在でも当時使用されていたものが数多く保存されており、
帳場から多くの諸大名が宿泊したことを知ることができる。
明治時代になると、皇室の東京・京都間の往来も頻繁となり、土山宿にご宿泊される事も
しばしばであった。 なかでも明治元年九月、天皇行幸の際には、この本陣で誕生日を
迎えられて、第一回天長節が行われ、土山の住民に対し、神酒・鯣が下賜され、
今なお土山の誇りとして語りつがれている。
本陣は、明治維新で大名の保護を失い、1870年宿駅制度の廃止に伴いなくなった。
土山宿・問屋宅跡
近世の宿場で、人馬の継立や公用旅行者の休泊施設の差配などの宿駅業務を
行うのが宿役人である。
問屋はその管理運営を取り仕切った宿役人の責任者のことで、宿に一名から
数名程度おり、庄屋などを兼務するものもあった。
宿役人には、問屋のほかに年寄・帳付・馬指・人足指などがあり問屋場で
業務を行っていた。
土山宿は、東海道をはさんで北土山村・南土山村の二村か並立する二つの
行政組織が存在した。
土山宿の問屋は、この両村をまとめて宿駅業務を運営していく重要な役割を果たした。