中山道信濃十五宿
信濃十五宿とは軽井沢宿・沓掛宿・追分宿・小田井宿・岩村田宿・塩名田宿・八幡宿・望月宿
芦田宿・長久保宿・和田宿・下諏訪宿・塩尻宿・洗馬宿・本山宿の十五宿を指す。
 歌川広重・浮世絵版画   簡単な宿場紹介
2006.07.14
軽井沢宿
  最盛期には女性が男性の二倍もいて
  飯盛り女の多い事で評判だった。
2006.07.14 沓掛宿   現在の中軽井沢で小規模の宿場ながら
  和宮通行の折りには宿泊地となった。
2006.07.14 追分宿   中山道と北国街道の別れ道で浅間三宿の
  中では最も繁盛した宿場。
2006.07.14
小田井宿   旅籠は五軒しか無い為、大名は追分宿に
  泊まり、主に姫君が泊まった事から
  別名「姫の宿」と呼ばれた。
2006.07.14 岩村田宿   宿場にしては珍しく、本陣も脇本陣もなかった
  城下町の為に敬遠された様子。
2006.07.14 塩名田宿   千曲川の渡し場の宿として栄えた。
  本陣二軒 脇本陣一軒 問屋場二軒あり
  宿場の長さ500mの中規模の宿場。
2006.07.14 八幡宿   宿場の長さ850m 本陣一軒 脇本陣四軒
  問屋場二軒の比較的大きな宿場。
2006.07.14 望月宿   朝廷の放牧場で育てられた名馬「望月」が
  天皇の献上馬となってから宿名も
  望月と名付けられた。
2006.07.14 芦田宿   土屋家はかって本陣兼問屋場として栄えて
  明治維新まで公家や諸大名の宿泊や
  休息場として利用されていた。
2006.07.13 長久保宿   旅籠が43軒を有した中山道でも最大級の
  宿場で飯盛り女も100人を超したらしい。
2006.07.12 和田宿   下諏訪宿までが中山道で最長の距離があり
  和田峠の難所も控えており、宿泊する
  旅人が多かった。
2006.07.12 下諏訪宿   中山道で唯一、温泉の出る宿場てあり
  諏訪大社の総本社が鎮座する門前町として
  栄えた。
2006.07.12 塩尻宿   伊那街道や善光寺道の分岐点でもあり、
  交通の要所として栄えた宿場。
2006.07.12 洗馬宿   中山道と北国街道の分岐点があり
  善光寺参りの人々で賑わった。
2006.07.12 本山宿   木曽谷の入口にあり、江戸時代には
  栄えた。
  木曽からの入口には番所が置かれて
  女の出入りや穀物等の改めがされていた。
更 新 日
 宿 場 名